有名な箇所を、あえて文脈から切り離さずに最後まで読み通してみた記録です。
この節を読んで励まされる人がいる一方で、傷つく人もいます。その両方が同時に起こりうるということを、書き手はおそらく想定していません。読む側が引き受けるしかない部分です。(歴代志上 9:37)
まず前提を確認しておきます。ここで扱うのは、教義としての正しさではありません。一人の読者としてどう読めるか、という話です。だから結論は開いたままにしておきます。
7エラムの子孫のうちではアタリヤの子エサヤおよび彼と共にある男七十人。
8シパテヤの子孫のうちではミカエルの子ゼバデヤおよび彼と共にある男八十人。
9ヨアブの子孫のうちではエヒエルの子オバデヤおよび彼と共にある男二百十八人。
10バニの子孫のうちではヨシピアの子シロミテおよび彼と共にある男百六十人。
エズラ記 8:7-10(口語訳(日本語))
生活の話をします。私がこの箇所を思い出すのは、たいてい台所か、通勤電車のなかです。教会の椅子の上ではありません。それは偶然ではない気がしています。(マカバイ記一 14:45)
私はここで立ち止まりました。先に進めないまま、しばらく同じ数行を読み続けました。その時間そのものに意味があったのだと、今は思っています。
最後にもう一度、本文に戻ります。解釈をいくら重ねても、本文そのものの手触りには敵いません。声に出して読んでみることをすすめます。
少し脱線します。この箇所と直接の関係はありませんが、似た構造を持つ文章が別の書にもあります。並べてみると、書き手の関心の違いが見えて面白い。
10それでレハベアム王は、その代りに青銅の盾を造って、王の家の門を守る侍衛長たちの手に渡した。
11王が主の宮にはいるごとに侍衛は来て、これを負い、またこれを侍衛のへやへ持って帰った。
12レハベアムがへりくだったので主の怒りは彼を離れ、彼をことごとく滅ぼそうとはされなかった。またユダの事情もよくなった。
13レハベアム王はエルサレムで自分の地位を確立し、世を治めた。すなわちレハベアムは四十一歳のとき位につき、十七年の間エルサレムで世を治めた。エルサレムは主がその名を置くためにイスラエルのすべての部族のうちから選ばれた町である。彼の母はアンモンの女で、名をナアマといった。
14レハベアムは主を求めることに心を傾けないで、悪い事を行った。
15レハベアムの始終の行為は、預言者シマヤおよび先見者イドの書にしるされているではないか。レハベアムとヤラベアムとの間には絶えず戦争があった。
歴代志下 12:10-15(口語訳(日本語))
外典を並べて読むと、当時の人々が共有していた語彙の広さに驚かされます。正典に収められた文書だけを見ていると、その広がりは見えません。
23人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
24いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
25しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
26そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
27ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
ルカによる福音書 17:23-27(口語訳(日本語))
最後にもう一度、本文に戻ります。解釈をいくら重ねても、本文そのものの手触りには敵いません。声に出して読んでみることをすすめます。
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