有名な箇所を、あえて文脈から切り離さずに最後まで読み通してみた記録です。
結論を書きます。と言っても、答えではありません。私はこの箇所を、命令ではなく約束として読むことにしました。理由は、そう読んだほうが自分が生きやすいからです。それが正しい理由になるかどうかは分かりません。
4Now shall ye see in Babylon gods of silver, and of gold, and of wood, borne upon shoulders, which cause the nations to fear.
5Beware therefore that ye in no wise be like to strangers, neither be ye afraid of them, when ye see the multitude before them and behind them, worshipping them.
6But say ye in your hearts, O Lord, we must worship thee.
7For mine angel is with you, and I myself caring for your souls.
8As for their tongue, it is polished by the workman, and they themselves are gilded and laid over with gold; yet are they but false, and cannot speak.
エレミヤの手紙 1:4-8(Brenton 訳・七十人訳から(英語))
ここで一度、歴史のなかに置いてみます。この文章が書かれた時代、読者は何に困っていたのか。それを想像するだけで、言葉の温度が変わってきます。(スザンナ 1:31)
私はここで立ち止まりました。先に進めないまま、しばらく同じ数行を読み続けました。その時間そのものに意味があったのだと、今は思っています。(テトスへの手紙 2:8-11)
外典を並べて読むと、当時の人々が共有していた語彙の広さに驚かされます。正典に収められた文書だけを見ていると、その広がりは見えません。
外典を並べて読むと、当時の人々が共有していた語彙の広さに驚かされます。正典に収められた文書だけを見ていると、その広がりは見えません。(ピリポの福音書 18:76-80)
9兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。
テサロニケ人への第一の手紙 2:9(口語訳(日本語))
この節を読んで励まされる人がいる一方で、傷つく人もいます。その両方が同時に起こりうるということを、書き手はおそらく想定していません。読む側が引き受けるしかない部分です。
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