生活の具体的な場面と聖句を行き来しながら書いています。
まず前提を確認しておきます。ここで扱うのは、教義としての正しさではありません。一人の読者としてどう読めるか、という話です。だから結論は開いたままにしておきます。
研究書を数冊当たってみましたが、決定的な説明には出会いませんでした。むしろ、決定的な説明がないことのほうが、この箇所らしいのかもしれません。
3Through each of these small portals pass the stars of heaven and run their course to the west on the path which is shown to them.
エノク書 36:3(Charles 訳(英語))
この一語をどう訳すかで、段落全体の意味が変わります。翻訳者はどこかで決断しなければならず、その決断はもう解釈です。読む側はそれを知っておいた方がいい。
8むなしい偶像に心を寄せる者は、 そのまことの忠節を捨てる。
9しかしわたしは感謝の声をもって、 あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。 救は主にある」。
10主は魚にお命じになったので、魚はヨナを陸に吐き出した。
ヨナ書 2:8-10(口語訳(日本語))
この箇所を初めて読んだとき、正直なところ意味が分かりませんでした。分からないまま何年も抱えていて、あるときふと別の角度から光が当たったように感じたのを覚えています。今から書くのは、その角度についてです。(ハガイ書 1:1-5)
少し脱線します。この箇所と直接の関係はありませんが、似た構造を持つ文章が別の書にもあります。並べてみると、書き手の関心の違いが見えて面白い。
外典を並べて読むと、当時の人々が共有していた語彙の広さに驚かされます。正典に収められた文書だけを見ていると、その広がりは見えません。
この一語をどう訳すかで、段落全体の意味が変わります。翻訳者はどこかで決断しなければならず、その決断はもう解釈です。読む側はそれを知っておいた方がいい。
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