この箇所を根拠にした言葉に傷ついた経験から書いています。
この節を読んで励まされる人がいる一方で、傷つく人もいます。その両方が同時に起こりうるということを、書き手はおそらく想定していません。読む側が引き受けるしかない部分です。(知恵の書 6:7)
結論を書きます。と言っても、答えではありません。私はこの箇所を、命令ではなく約束として読むことにしました。理由は、そう読んだほうが自分が生きやすいからです。それが正しい理由になるかどうかは分かりません。(テサロニケ人への第一の手紙 4:11)
1Jesus said, "What you hear with one ear, listen to with both, then proclaim from your rooftops. No one lights a lamp and puts it under a basket or in a hidden place. Rather, they put it on the stand so that everyone who comes and goes can see its light."
トマスの福音書 33:1(Mattison 訳(英語))
私はここで立ち止まりました。先に進めないまま、しばらく同じ数行を読み続けました。その時間そのものに意味があったのだと、今は思っています。
まず前提を確認しておきます。ここで扱うのは、教義としての正しさではありません。一人の読者としてどう読めるか、という話です。だから結論は開いたままにしておきます。(マルコによる福音書 10:52)
19Then the children of Israel cried unto the Lord their God, because their heart failed, for all their enemies had compassed them round about, and there was no way to escape out from among them.
20Thus all the company of Assur remained about them, both their footmen, chariots, and horsemen, four and thirty days, so that all their vessels of water failed all the inhabitants of Bethulia.
21And the cisterns were emptied, and they had not water to drink their fill for one day; for they gave them drink by measure.
ユディト記 7:19-21(Brenton 訳・七十人訳から(英語))
この一語をどう訳すかで、段落全体の意味が変わります。翻訳者はどこかで決断しなければならず、その決断はもう解釈です。読む側はそれを知っておいた方がいい。(秘密のマルコの福音書 3:2)
まず前提を確認しておきます。ここで扱うのは、教義としての正しさではありません。一人の読者としてどう読めるか、という話です。だから結論は開いたままにしておきます。
外典を並べて読むと、当時の人々が共有していた語彙の広さに驚かされます。正典に収められた文書だけを見ていると、その広がりは見えません。(マナセの祈り 1:15)
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