通読の途中で立ち止まった箇所について、立ち止まったまま書きました。
この一語をどう訳すかで、段落全体の意味が変わります。翻訳者はどこかで決断しなければならず、その決断はもう解釈です。読む側はそれを知っておいた方がいい。
文脈を無視して一節だけを引くと、まったく逆の意味になることがあります。実際、この節は都合よく引用されることが多い箇所です。だからこそ、前後を含めて読み直す価値があります。(バルク書 2:9-12)
21For then the blameless man made haste, and stood forth to defend them; and bringing the shield of his proper ministry, even prayer, and the propitiation of incense, set himself against the wrath, and so brought the calamity to an end, declaring that he was thy servant.
22So he overcame the destroyer, not with might of body, nor force of arms, but with a word subdued him that punished, alleging the oaths and covenants made with the fathers.
23For when the dead were now fallen down by heaps one upon another, standing between, he stayed the wrath, and parted the way to the living.
知恵の書 18:21-23(Brenton 訳・七十人訳から(英語))
反論は当然あると思います。私自身、この読み方に確信を持っているわけではありません。ただ、少なくともこう読める余地はある、というところまでは言えます。(ナホム書 2:4-7)
まず前提を確認しておきます。ここで扱うのは、教義としての正しさではありません。一人の読者としてどう読めるか、という話です。だから結論は開いたままにしておきます。
外典を並べて読むと、当時の人々が共有していた語彙の広さに驚かされます。正典に収められた文書だけを見ていると、その広がりは見えません。(バルク書 2:31)
私はここで立ち止まりました。先に進めないまま、しばらく同じ数行を読み続けました。その時間そのものに意味があったのだと、今は思っています。(バルク書 1:4-9)
49そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
マタイによる福音書 12:49(口語訳(日本語))
私はここで立ち止まりました。先に進めないまま、しばらく同じ数行を読み続けました。その時間そのものに意味があったのだと、今は思っています。
10外側のかきは、外庭に始まっている。 南の方で、庭と建物との前に、室があった。
エゼキエル書 42:10(口語訳(日本語))
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