この箇所を根拠にした言葉に傷ついた経験から書いています。
まず前提を確認しておきます。ここで扱うのは、教義としての正しさではありません。一人の読者としてどう読めるか、という話です。だから結論は開いたままにしておきます。
11兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。
ガラテヤ人への手紙 5:11(口語訳(日本語))
生活の話をします。私がこの箇所を思い出すのは、たいてい台所か、通勤電車のなかです。教会の椅子の上ではありません。それは偶然ではない気がしています。(エズラ記 5:11-13)
反論は当然あると思います。私自身、この読み方に確信を持っているわけではありません。ただ、少なくともこう読める余地はある、というところまでは言えます。(テモテへの第二の手紙 4:1)
5また屋上で天の万象を拝む者、 主に誓いを立てて拝みながら、 またミルコムをさして誓う者、
6主にそむいて従わない者、 主を求めず、主を尋ねない者を断つ」。
7主なる神の前に沈黙せよ。 主の日は近づき、 主はすでに犠牲を備え、 その招いた者を聖別されたからである。
8主の犠牲をささげる日に、 「わたしはつかさたちと王の子たち、 およびすべて異邦の衣服を着る者を罰する。
9その日にわたしはまた、すべて敷居をとび越え、 暴虐と欺きとを自分の主君の家に満たす者を罰する」。
10主は言われる、 「その日には魚の門から叫び声がおこり、 もろもろの丘からすさまじい響きがおこる。
ゼパニヤ書 1:5-10(口語訳(日本語))
少し脱線します。この箇所と直接の関係はありませんが、似た構造を持つ文章が別の書にもあります。並べてみると、書き手の関心の違いが見えて面白い。(トビト記 6:5)
この節を読んで励まされる人がいる一方で、傷つく人もいます。その両方が同時に起こりうるということを、書き手はおそらく想定していません。読む側が引き受けるしかない部分です。(ナホム書 1:9)
外典を並べて読むと、当時の人々が共有していた語彙の広さに驚かされます。正典に収められた文書だけを見ていると、その広がりは見えません。(哀歌 1:21)
7不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。
8その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。
9不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
10また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
11そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、
テサロニケ人への第二の手紙 2:7-11(口語訳(日本語))
研究書を数冊当たってみましたが、決定的な説明には出会いませんでした。むしろ、決定的な説明がないことのほうが、この箇所らしいのかもしれません。
この節を読んで励まされる人がいる一方で、傷つく人もいます。その両方が同時に起こりうるということを、書き手はおそらく想定していません。読む側が引き受けるしかない部分です。
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