有名な箇所を、あえて文脈から切り離さずに最後まで読み通してみた記録です。
文脈を無視して一節だけを引くと、まったく逆の意味になることがあります。実際、この節は都合よく引用されることが多い箇所です。だからこそ、前後を含めて読み直す価値があります。
この箇所を初めて読んだとき、正直なところ意味が分かりませんでした。分からないまま何年も抱えていて、あるときふと別の角度から光が当たったように感じたのを覚えています。今から書くのは、その角度についてです。(ヨエル書 2:7-9)
少し脱線します。この箇所と直接の関係はありませんが、似た構造を持つ文章が別の書にもあります。並べてみると、書き手の関心の違いが見えて面白い。
11まことにイスラエルの人々は皆あなたの律法を犯し、離れ去って、あなたのみ声に聞き従わなかったので、神のしもべモーセの律法にしるされたのろいと誓いが、われわれの上に注ぎかかりました。これはわれわれが神にむかって罪を犯したからです。
12すなわち神は大いなる災をわれわれの上にくだして、さきにわれわれと、われわれを治めたつかさたちにむかって告げられた言葉を実行されたのです。あのエルサレムに臨んだような事は、全天下にいまだかつてなかった事です。
ダニエル書 9:11-12(口語訳(日本語))
反論は当然あると思います。私自身、この読み方に確信を持っているわけではありません。ただ、少なくともこう読める余地はある、というところまでは言えます。
生活の話をします。私がこの箇所を思い出すのは、たいてい台所か、通勤電車のなかです。教会の椅子の上ではありません。それは偶然ではない気がしています。
まず前提を確認しておきます。ここで扱うのは、教義としての正しさではありません。一人の読者としてどう読めるか、という話です。だから結論は開いたままにしておきます。
ここで一度、歴史のなかに置いてみます。この文章が書かれた時代、読者は何に困っていたのか。それを想像するだけで、言葉の温度が変わってきます。(ユダの福音書 4:34-37)
27And yet, although nature and intercourse and virtuous morals increased their brotherly love, those who were left endured to behold their brethren, who were ill-used for their religion, tortured even unto death.
マカバイ記四 13:27(Brenton 訳・七十人訳から(英語))
少し脱線します。この箇所と直接の関係はありませんが、似た構造を持つ文章が別の書にもあります。並べてみると、書き手の関心の違いが見えて面白い。(テサロニケ人への第一の手紙 4:3)
55Unto them of Zidon also and Tyre they gave carrs, that they should bring cedar trees from Libanus, which should be brought by floats to the haven of Joppe, according as it was commanded them by Cyrus king of the Persians.
56And in the second year and second month after his coming to the temple of God at Jerusalem began Zorobabel the son of Salathiel, and Jesus the son of Josedec, and their brethren, and the priests, and the Levites, and all they that were come unto Jerusalem out of the captivity:
57and they laid the foundation of the house of God in the first day of the second month, in the second year after they were come to Jewry and Jerusalem.
エズラ記(ギリシア語) 5:55-57(Brenton 訳・七十人訳から(英語))
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